寝ること一つとってもそうだ

 
 

硬くない痛くない布団がある事

うるさくない場所である事

まぶしくない暗さにある事

熱くない寒くない温度にある事

虫に刺されない状況である事

危険に脅かされない環境にある事
 

 

他には何が有るのだろう

 

 

両手でパソコンが打てる事

安全な水を飲める事

携帯電話を使える事

時間に正確な電車に乗れる事

毎日お風呂に入れる事

おなかがすいたら何か食べられる事

着替える洋服がある事

新聞の文字が読める事

髪の毛をドライヤーで乾かせる事

自転車に乗れる事

コンビニでトイレが借りられる事

テレビで映画が見れる事

靴を履いて歩ける事

お金で物を買える事

働ける仕事がある事

帰れる家がある事

誰かの声が聞こえる事

話をする人が近くにいる事

手を伸ばせば触れる人がいる事

大好きな人間が生きている事

人生がまだ続いている事

 

 

考えればすべての事が
そうなのかもしれない

 
 
考えれば
 
 
少し前の日本では
受けられなかった恩恵であり
 
 
今でも世界の国々では
得られない事でもあり
 
 
すでに失ってしまった
人たちもいるという事
 
 
 

「ありがとう」とは

本来「有難う」と書く

 
 
そこに「有る」のが「難しい」
 
 
つまり
 
 
「存在してくれる事

 それ自体が難しい」
 
 
という事
 
 
感謝しても仕切れない

貴重で有難いものを得ている
 
 
という事
 
 
そこに存在してくれている事に
感謝する言葉が
 
 
「 ありがとう 」
 
 
 
なので
 
誰かに何かをしてもらって
 
「 すいません 」
 
というのは違っていると感じる
 
 
「 すいません 」
 
の語源は、私の気持ちが
 
「 澄まない、済まない 」
 
という事
 
 
主語は 「 私 」
 
 

これは感謝の言葉ではなく
 
「 私 」の気持ちアピール
 
に他ならない
 
 
普通なら有り得ない事が
目の前に存在しているのに
 
 
そんな時に
主人公を自分にして
 
「 私 」アピール
 
をするのはちょっと
場違いなのである
 
 
 
「 愛 」の反対は

「 無関心 」だとよく言われるが

 

「 ありがとう 」の反対は

「 当たり前 」
 
 
 
「 ありがとう 」

と言わないのは「 当たり前 」

だと思っているという事
 
 

「有る」のが「難しい」
 
 
と感じられないのであれば

それが理解できるのは
 
 

全てを失った時

 
 
になるのである