サルを捕まえる時の話がある

 

サルを捕まえる時
ワナをしかける

アルジェリアとかで
行われている

 

とても簡単なワナなのである

 

ひょうたんとか、ヤシの実とかに
サルの手が入るくらいの
穴をあける

 

穴の中にサルのえさになるものを
入れておく

 

後はそれをしっかり
木にくくり付けておく

 

ただ、それだけなんである

 

 

「 痛み 」 と 「 苦しみ 」
というのは全く別のものらしい

 

「 痛み 」は生きていく中で
避けられない

 

しかし、生きていくためには
必要となる感覚なのである

 

「 苦しみ 」は
なにかに執着したときに
生まれてくる

 

執着が苦しみを生む

 

痛みをもたらすものに
執着することで
苦しみが生まれる

 

「 苦しみ 」とは
痛みに執着することで
自分自身で創り出したもの

 

自分の心の中にある
一つの「考え方」なのである

 

 

サルはワナの穴の中に
エサがあることを見つけると
喜んで穴の中に手を入れる

 

手を入れると
中にあるエサを握りしめる

 

そうすると
握りしめた手の拳が
穴よりも大きくなって
引き抜けなくなるのである

 

しかし、サルは手にした
エサを手放そうとはしない

 

飛び上がったり、わめいたり
もがいたりして苦しむのだが
身動き取れずにそのまま人間に
つかまってしまうのである

 

握りしめたエサを
手を緩めて放せばいつだって
逃げられるのにである

 

なんて浅はかなサルなんだ、と
笑いたいところだが
時に僕らはサルより愚かだ

 

 

人間はありもしない恐怖にまで
執着してしまう

 

 

まだ起こっていない
未来の恐怖に
執着して苦しみ始める

 

 

想像の世界で
まだ起こってもいない恐怖に
執着して苦し始めるのである

 

ひょうたんの中にエサはないのに
想像の恐怖を握りしめて
「苦しみ」にとらわれて
しまうのである

 

僕たちはエサを握りしめたまま
つかまってしまうサルと同じ

 

 

手放さないでいつまでも
しがみついたまま
身動きがとれなくなってしまう

 

 

苦しみの罠から逃れるには
どうすればいいのだろう

 

僕らを苦しめているのは
執着だ

 

では、僕らの執着とは
いったい何なのか

 

穴に手を突っ込んだサルが
目の前で苦しんでいるのなら
教えてあげてほしい

 

「その握りしめた執着を
手放したらいいんですよ」