人は涙の数だけやさしくなれる
後楽園ホールという施設があります。
東京ドームからほど近い、後楽園ホールビルの五階にあるイベント会場です。
ここは野球で例えると甲子園球場のようなもの、と言われることもあります。
誰の甲子園かというと格闘技をやる者にとっての甲子園です。
格闘技をやる者の憧れのメッカなのです。
ビルの五階にはリングがあって、ボクシングとかプロレスとかキックボクシングとか、各種の格闘技がそこで行われます。
ちなみにリングって四角い形をしているのにRING(輪)って呼びますよね。不思議です。
あれは僕がプロボクサーとしてデビュー戦を行った日の夜でした。
その日の試合を勝利で終えた僕はボーとする頭で試合後の帰りぎわ、階段を下りていました。
後楽園ホールには名物があります。それがこの階段です。
なぜ名物かと言うと、そこらじゅうの壁やら手すりやら何やら、一階から五階まで全部落書きだらけだからです。
イベントが行われる五階のホールに入る前には、この階段を利用して待ちの列を作るんですね。その待ち時間に書かれたりする落書きです。
で、そのデビュー戦の帰り道。
ホールの五階から階段を下りていた僕は、壁の落書きに目が留まりました。
人は涙の数だけやさしくなれる
そこには女の人の丸い文字でそう書かれていました。
「この女の人の彼氏もボクサーなのかな。
でも、その彼氏は試合に負けてしまったのかな。」
なぜ、そう思ったのか理由はわかりませんが、とにかくそのように感じたことを今でも覚えています。
僕は基本的に日曜日以外はどんな事があってもジムに行ってトレーニングをしていました。
しかし、例外があってジムの同門が試合に出るときは会場に行って応援をします。
なぜならばジムのトレーナーもそれを良しとしていたからです。
僕もよく後楽園ホールへ応援に行きました。プロのボクサーはボクサーライセンスを入り口で見せると関係者としてタダで会場に入れます。
そんな時、応援の帰りには、必ず階段を使って五階から降りてくるようにしていました。
なんとなく、あの日に見た壁の落書きが気になって、もう一度見ようと思っていたからです。
でも探しながら階段を下りてくるのですが、あの時の落書きは見つかりません。
何気なく、ふと、目についたくらいなので、基本的には目の高さにあったはずです。
床とか手すりとかには書いてなかったはずなのですが、そういったところにも気を付けて探しました。
自身も後楽園ホールでは三回試合をしました。
自分の試合の帰りにも、他の人の応援に行った帰りにも、何度も階段で下りる事を続けました。
でもそのうち、探すことはなくなってしまいました。
プロのボクサーとして引退をしたからです。
いつの頃からか、あの日の落書きはデビュー戦のあの夜にだけ見えた、特別なものだったんだと思うようになりました。
僕の人生にもたった一度だけおきた奇跡なのだと。
なぜだかはわかりませんが、きっとこの先の未来でこの言葉を持ってくる人が出てくるような気がしました。
いつの日か「人は涙の数だけやさしくなれる」という言葉をデビュー戦のあの日の夜から未来へ運んでくる人が現れるのではないかと。
もしかしたら、その人が僕の運命の人なのかもしれない。
なんの根拠もありませんでしたが、そう信じることにしました。
あの日から24年の月日が流れていました。
僕が古着屋ガレージセールに入ったのは1997年の12月21日でした。
当時は津田沼パルコにもお店がありまして、どちらにも勤務していたのですが、まさに今のこのお店、ガレージセール本店に初日は出勤しました。
古着に囲まれて、一日そこで過ごして、これでお金をもらっていいのだろうか?と思ったことを今でも覚えています。
僕の前職は飲食関係で、今で言うとブラック企業でしょうか。
体を壊して、自律神経をやられ、精神的に病んでしまって仕事を辞めていました。
まあ、要するにうつ病になって会社を辞めた訳ですが、家に閉じこもるのもよくないと思っていました。
うつ病患者は基本まじめな性格なので、仕事をしていた方が規則正しい生活をするようになるから好ましい、と自らが病人のくせに割と的確に状況を判断していました。
そんな時、古着屋ガレージセールがアルバイトを募集していたのです。
いずれ再び会社に就職するなら、その前に人生一度でいいから古着屋で働いてみたい、と思いました。
そうして面接を受けたところ、後日採用されることとなり、念願の古着屋に勤める運びとなりました。
ただ、憧れの古着屋店員になったはいいのですが、体の調子は良くないし、最初の頃はとても大変でした。
一日仕事を続け家に帰ると、疲れで毎日微熱が出ていました。
具合が悪くて、朝、病院で点滴を受けてから仕事に行ったことが三回ありました。
時給800円のアルバイト時代の話です。
シフトに穴をあけ、スタッフに迷惑をかけるのは良くない事だと、仕事とはそのようなものだと、認識していました。
とはいえ、自身の頑張りと、仕事の結果は全く関係ありません。仕事とは結果で示さなければ何の意味もない世界です。
僕は接客がとてもとても苦手で、販売員として売り上げを作ることが本当にできませんでした。
先代社長の平丸さんからは、
「今月売上を立てる事ができなければ、あなたにはこれで辞めてもらう」
と本当に何度も言われました。
自分は今月で終わりなんだ、、とおなかの胃のあたりが鉛のように重くなって、身も心もぐったりしていました。
それが24歳か、25歳か。時給800円のアルバイト時代の話です。
25歳で時給800円のアルバイト、しかも仕事ができずに今月で辞めてもらうと社長に言われ続けていました。
あれから22年の月日が流れました。
そして今日、1997年12月21日に初めて働いたこの店舗を自らの手で閉める事になりました。
お客様にとって、このお店が存在してきた意味はなんなのだろうと考えていました。
先代社長の平丸さんから受け継ぎ、古着屋ガレージセールがお客様に提供してきたものは一体何なのか。
僕なりの答えはすでに存在しています。
古着屋ガレージセールがこれまであなたに提供してきたもの。
ビンテージ革靴でも古着でもミリタリーアイテムでもありません。
それは、
「あなたが主役になる物語」
です。
ボクシングのデビュー戦の夜に見えたあの言葉。
僕は常に大事にして生きてきたかというと、そういう訳でもありません。
最後、あなたに古着屋ガレージセールとして何を伝えるべきなのか考えていたら、ふと思い出したのです。
そして思いました。
これは僕自身の物語です。
なのに、他の誰かがあの言葉を未来へ運んでくれることを期待している。
僕はあの言葉を自分自身で未来へと、運ばなくてはいけない。
奇跡を夢見て、それを待ち続けることはとても美しい事だけれど、僕の人生においてその時間はもう終わったんだと。
そう思いました。
これは本当に大事に大切に、胸に秘めて守ってきた僕自身の物語です。
たった一度だけ、僕の人生にも起きた奇跡のお話です。
できればそれにしがみついて、美しい思い出のまま一生を終えていきたい。
でも、とても悲しいけれども、それを手放して生きる時が来たのかもしれません。
痛みをともなう物語を僕は今、つむいでいるのです。
そして、あなたにとって大切な事。
それはあなたが主役であって、あなたが自分の物語を生きていくことだと思います。
あなたの物語を形どる、なにがしかのお役に立てることを願って、古着屋ガレージセールはここまでやってきたのだと思います。
ボクサーが戦う場所は四角く囲った中なのに何でリング(輪)というか知っていますか。
いにしえの時代より、人類は拳闘を行ってきました。
最初はただの広場で戦っているのを、観客が周りを囲んで応援していたのです。
でも、そのうち感情が高ぶってしまい、周りの観客がその戦いに飛び込んでしまうんですね。
人は目の前で懸命に戦っている人を見ると、心が揺さぶられてしまうのです。
なので、周りで見ている人間たちがロープを持って、その中に入らないようにしていました。
闘っている人間をロープを持ちながら輪になって観戦していたので、あの拳闘の場をリング(輪)と呼ぶのです。
僕は古着屋ガレージセールをこの乱入してくる観客のようなものだと認識しています。
あなたが自分で選んだ物語に懸命に立ち向かっていると、
その姿に魅せられ、
戦いの成り行きに心を奪われ、
頼んでもいないのに前のめりにしゃしゃり出てきて叫ぶのです。
「オレが持っているこの革靴を使えっーーーー!!」
と。(笑)
それは、ミリタリーのジャケットかもしれないし、部屋を彩るインテリアかもしれないし、革靴を磨くためのクリームかもしれない。
ただ、ただ、
あなたが選んだ人生を深く、強く、鮮やかに切り取り、
色濃くにじませ、
喜びも悲しみもすべてを含んで、物語を豊かに彩るものであればそれでいい。
いつだって思い出して欲しいのは当店であなたが購入してくれたものは商品なんかじゃない、という事実です。
「あなたが主役のあなただけの物語」
を手にしているのです。
ガレージセールで買ったとか、ビンテージのレアものだとか、貴重な一点ものだとか、そんな事はどうでもいいと思います。
どんなものであれ、それを使ったあなたの物語さえ存在すればそれでいいと思っています。
革靴を履いてディナーショーに行ったとか、
寒い冬にM65が思いのほかあったかかったとか、
若き日にアメリカで買ったのと同じ革靴を手に入れたいとか
大好きなあの子との初デートにドキドキしながらお洒落をしたとか。
あなたの想いや記憶や感情がそこにあれば、それはどんなに小さなちいさなエピソードでもあなただけの物語です。
いつの日も、あなたを主役にした物語を歩んで行ってくれる事を願っています。
僕は自らの判断をもって先代が築いたこの店を閉じることを決定しました。
自分の責任において、自らの手を下して、それを行わなくてはいけないと思いました。
店を閉める悲しさも、これからの将来に対する不安も、お客様に会えなくなる寂しさも。
数々の想い出の記憶を、ほぼ全ての人生に結びついた感情を、かつて描いていたはずの未来の夢を。
鈍く、重く、刃物で切られたような熱くにじむ痛みを持って受け入れなければいけない。
僕の人生のすべてを彩ったこの店を、自らの判断で手放して始末をつけ、終えなければいけない。
なぜならばこの店は僕が受け継いだ物語だからです。
この痛みを先送りすることなく、自らの痛みをもって終了させなければいけないのです。
もうすぐであなたはこの話を読み終わり、画面から目を離すことでしょう。
現在の店舗で続けてきた古着屋ガレージセールの物語はここで終わりです。
この話にまさに今、ここで、関わってくれたという事。
それこそが古着屋ガレージセールの物語にあなたが参加してくれたという証です。
本当にどうもありがとう。心から感謝しています。
この画面から目を離したその瞬間、今度はそこからあなたの物語が始まります。
胸を張って、あなただけの物語をつむいで行ってください。
心から応援しています。
それを伝える事で、あなたの物語のほんの一部に古着屋ガレージセールが存在できたなら、これ以上ない幸せです。
さあ、行きましょう。
ここからはあなたが主役の物語です。
自分の物語を一人で歩み行くのは怖いですか?
でも大丈夫です。
失敗したり、傷ついたりしたら涙をこぼして立ち止まってください。
それでいいじゃないですか。
だって、ほら。
人は涙の数だけやさしくなれる
のだから。
2020年6月30日
自宅にて、最後の出勤の日を告げる朝日を感じながら
古着屋ガレージセール
二代目オーナー
青山健一
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